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和歌山市・片男波遠望記

写真撮影・平成15年9月
記事作成・令和2年8月
「希少地名(海岸)」コレクションの協賛企画です。

外出しづらい折となっておりますので過去に撮った写真を見返しておりますが、手つかずのままだった地点がまだまだあるんですな。
そんな中でも、2番目に古い写真フォルダの中にあった写真に「意図せず写っていた」ものを見つけたのでそのレポートを取りまとめてみました。

和歌山市の紀三井寺から見えた「それ」

(写真1)紀三井寺の山門

(写真1)紀三井寺の山門。(撮影ポイント)平成15年9月に和歌山市に初訪問し、市内の神社やお寺を巡っていました。言ったのは和歌山東照宮→和歌浦天満宮→玉津島神社→塩竈神社→紀三井寺→伊太祁曽神社でしたが、「それ」を目にしたのは5ヶ所目の訪問地、紀三井寺(紀三井山金剛宝寺護国院)でのことでした。

(写真2)紀三井寺の境内へと向かう石段の途中

(写真2)紀三井寺の経大へと向かう石段の途中。(撮影ポイント)
紀三井寺の境内へは急な石段を登っていきます。この写真の位置でだいたい1/3ぐらい?
(ちなみに、この時には無かったのですが、現在はここから上の石段には踊り場ごとに「女厄年坂」「男厄年坂」「還暦厄年坂」という銘板が設置されているようです。それぞれ33段、42段、60段あるとか…)

(写真3)紀三井寺の境内・本堂方向

(写真3)紀三井寺の境内・本堂方向。(撮影ポイント)
石段を登り切ると境内。標高45mぐらい。
石段から左手に向かうと紀三井寺の本堂があります。でも今回の話の本題はこの写真とは反対側、石段から右手に向いたところにある新仏殿です。あ、そちらは建物の写真を撮っていなかった…。

(写真4)紀三井寺・新仏殿の2階からの眺め

(写真4)紀三井寺・新仏殿2階からの眺め。(撮影ポイント)
新仏殿は高さ33mの建物で、多分3層だと思います。
2階部分は外にベランダ的なものがあり、そこからの眺めが結構良かったんですね。で、何気なく西の方を撮影したところ、その中に「それ」が写っていました。その事に気付いたのは帰宅後、地図で写真を写した場所を確認していた時。風景を実際に見ていた時には「それ」は意識していませんでした。

(写真4’)黄色で囲った部分が「片男波」

上と同じ写真ですが、黄色で囲んだ部分が「それ」…和歌川の河口に延びる砂州、「片男波」です。砂州なのに「○○州とか「○○浜」と言った名前では無く、尖った地形ですが「○○崎」とか「○○岬」でもない。
奈良時代の歌人・山部赤人がこの地について読んだ「若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 葦辺をさして 鶴(たづ)鳴き渡る」という歌の「潟をなみ」にちなんでこの砂州やその周辺の水辺が「片男波」と呼ばれるようになった…とのことです。
ちなみに、「片男波」と聴くと大相撲の年寄名跡の「片男波」を思い出す方が多いのでは無いかと思います。何か関係がありそうな気がするのですが、年寄名跡の「片男波」の由来は明確では無い模様。

(写真5)紀三井寺・新仏殿の2階からの眺め・その2

(写真5)紀三井寺・新仏殿2階からの眺め・その2。(撮影ポイントは写真4とほぼ同じ)
写真4よりもうちょっと左手…南寄りの写真も写していました。
まん中に写っている四角い建物より右手(北側)は和歌川が潟湖のようになっており幅も広いのですが、左手(南側)は川幅が狭くなっており(それでも百数十mある)、片男波は一部が建物の陰になってしまっています。
更に左手の写真は写していなかったのですが、おそらく家々の陰になりどこまでが片男波でどこまでがこちら側の岸なのか分からなかったと思われます。

片男波、別の方向からも見ていた

と言う事で、全貌は写しきれなかったものの、細長い形は分かる状態で片男波を目にしていました。ところが、更に確認すると、紀三井寺の先に立ち寄った場所からも片男波を見ていた事が分かりました。

(写真6)和歌浦天満宮

(写真6)和歌浦天満宮(撮影ポイント)
その場所は和歌山市2ヶ所目の訪問地、紀三井寺から北北西に2.5kmほど離れた場所にある和歌浦天満宮。その神門の前付近からのことでした。

(写真7)和歌浦天満宮の神門前から南東方向を撮影

(写真7)和歌浦天満宮の神門前から南東方向を撮影。(撮影ポイント)
この写真はただ単に「お、眺めが良いな」と思って撮影したものなのですが、あとから地図と付き合わせてみたところ、片男波のほうを向いていたことが分かりました。
でも…片男波、どこ?

(写真8)写真7を拡大

(写真8)写真7を拡大。
拡大しても分かるような分からないような…

(写真8’)黄色で囲った部分が「片男波」

写真4と同様に、写真8も「片男波」を黄色で囲んで見ました。地図と照らし合わせながら囲んでみましたが…先の方はやはり対岸と一体化してしまっていて何が何だか。
あと、和歌川が建物の陰になってほぼ見えないのもマイナスですね…和歌浦天満宮の神門付近で標高がだいたい20mぐらいだったのですが、片男波を見渡すにはもうちょっと高さが必要だったようです。紀三井寺の時と同じぐらい、50m前後あればもうちょっとわかりやすかったかも…でも細長すぎて先の方はやっぱり厳しいか。

余談

実は写真7、8にはもう一つ気になるものが写っています。

(写真8’’)黄色で囲った部分が御手洗池内の島

実は和歌浦天満宮のすぐ前に御手洗池という池があり、その中に島があるのです。黄色く囲った部分が御手洗池の中にある島になります。
実は地名コレクションには「湖水の島」コレクションというのもあるのですが、この島は未収録。不忍池や石神井公園の島も採録されているのでここも有りのような気はしますが…提案するにはこの島の来歴をもっと調べたいところです。和歌浦の江戸時代の地図が見られると良いのですが。
ちなみに、地図サイトを調べた限りではこの島の名前は出て来なかったのですが、ネット検索で調べて見たところどうやら「中ノ島」と言うらしいです。

この和歌山市訪問時は寺社巡りが中心だったため、今度は片男波の現地も行ってみたいですし、地形を中心に掘り下げた写真を撮りに行きたいものです。