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元一音大字・飛騨市神岡町土訪問記

写真撮影・平成18年5月
記事作成・平成18年5月
「一音地名」コレクションの協賛企画です。

岐阜県飛騨市神岡町土に行ってみました。場所はこのあたりです。(実はスーパーカミオカンデがある山の麓です)
当地はつい最近まで「吉城郡神岡町土」と言う一音地名でした。しかし、平成15年5月1日に神岡町を含む2町2村が合併して飛騨市となった際、大字名には全て旧町村名を冠する事となった事から、残念ながら純粋な一音地名では無くなってしまいました。

さて、これまで訪問した一音地名・準一音地名は初訪問でしたが、この飛騨市神岡町土は以前すぐ近くの国道41号を通過しており、その際に「土」の表示がある事を目撃しており、ある程度の目標を定めての訪問でした。問題は「いくつか有る看板の中に、写真に写しにくい場所にあるものがある事」でして…

国道41号沿いにある「土」の表示

(写真1)国道標識の「神岡町土」

(写真1)国道標識の「神岡町土」(撮影ポイント)
富山から神岡方向に国道41号を走ってきて、まずお目にかかれるのがこの看板。国道標識は飛騨市が書かれていませんでした。合併前の状態そのまま、と言う事なのでしょうか?

(写真2)土洞門3の標識

(写真2)土洞門3の標識(撮影ポイント)
写真1の奥の方にチラッと写っているスノーシェッド、実際にはそのままロックシェッドに繋がっていまして、その名前を記した看板が下の写真。英語表記が何だか命令形の英文みたいです(笑)。
ちなみに、国道標識のすぐ横、神岡向き車線側に駐車できるスペースがありまして、そこに車を停めて写真を写しました。「土洞門3」と言うからには「土洞門1」と「土洞門2」もあるのですが、いずれも近くに駐車可能なスペースはなく、歩くにしても車通りが多く歩道の無いところを数百m歩かないとたどり着けないため、それらの写真撮影はちょっと難しいと思われました。

(写真3・上)土スノーシェード・富山側 (写真3・下)土スノーシェード・神岡側の看板

(写真3)上:土スノーシェード・富山側、下:同・神岡側の看板(撮影ポイント)
土洞門3、2、1と順にくぐり抜け、さらに神岡方向に走ると今度は「土スノーシェッド」があります。
こちらはスノーシェッド北側の富山向け車線側に駐車可能なスペースがあり、そこから写真を写してみると上のような事に。大きな字は読めますが、小さな字は潰れちゃいました。訪問時のカメラの都合でズームアップができませんでしたが、この辺りは車通りが多い上、路側帯も狭いので、道を渡って真下まで行く勇気はありませんでした。
しかし、実はこのスノーシェッドには川側に歩道のような部分がありまして、そこを通って反対側の看板の真下に出る事ができました。そうやって撮ったのが下の写真。(危険な事はしてませんので念のため)番号を見ると土洞門3から3つ目であることが分かりますね。英語表記はやっぱりどう見ても命令形(笑)。

(写真4)土洞門1・2の遠景

(写真4)土洞門1・2の遠景(撮影ポイント)
土スノーシェッド横の駐車スペースから北側を撮影しました。スノーシェッドに看板が付いてるのが見えますが、あそこに「土洞門1」と書いてあるのです。目前で写真を撮れないのが残念。土洞門2も写真に写っています。土洞門3は視界には入ってない、と思います。

(写真5・上)濃飛バス「土」バス停 (写真5・下)「土」バス停の時刻表

(写真5)上:濃飛バス「土」バス停、下:「土」バス停の時刻表(撮影ポイント)
実は平成15年にこのバス停を目にする機会があった事から「土」という集落がある事を知りました。目撃してから3年経っていたので現存しているかどうかちょっと不安なところもありましたが、どっこいその時と変わらず立ってました。ちなみにバス停がある場所は国道と土に向かう道の分岐点にあたる位置にあります。(住所は神岡町牧になります)
下が時刻表。非常に見にくくなってしまいましたが、このバス停には上下5本のバスが停車します。ちなみに、富山行きのバスに乗る時は道の反対側に立って、バスが来たら手を挙げろ、とあります。時間帯によってはそれなりに交通量があるようですので、ちょっと怖い気がするのですが・・・。
(平成25年補足、平成24年4月時点のGoogleストリートビューを見ると、タバコ屋の建物は無くなっていますがバス停は健在です。このように時刻は変わっているもののバスの本数は変わりないようです)

国道41号から「土」の集落に入っていくと

(写真6)土バス停付近から土の集落を望む。

(写真6)土バス停付近から土の集落を望む。(撮影ポイントは上と同じ)
土は谷沿いに連なる小さな集落なのですが…この写真ではちょっと分かりにくいですね。もうちょっと下に降りてから撮れば良かった。
ちなみに、ウオッちずで集落付近の地図を見ると分かるのですが、土の集落は跡津川沿いではなく、そこから分岐したさらに小さな谷に沿って家が建っています。なので、集落と川との間に高い部分があるのですが、それが分かるような写真を撮っとけば良かったかも。

(写真7)道路ぶちにあった「土のイチイ」の表示。

(写真7)集落内では、道路からちょっと奥まったところでこんなものを見つけました。(撮影ポイント)土のイチイ…しかし、この標識のすぐ回りにはそれらしい木が見あたりません。実はこの写真の左手に高台に上がる石段がありまして、そこを登ってみると…

(写真8・上)「土のイチイ」の上の方だけ(涙) (写真8・下)土のイチイの傍らにあった案内板

(写真8)上・「土のイチイ」の上の方だけ(涙)、下・土のイチイの傍らにあった案内板。(撮影ポイント)
高台に上がるとやっぱりそこにイチイの木が。全体を写したかったのですが、カメラの都合で半分くらいを収めるのが限度でした(涙)。
イチイの木の傍らには説明板がありました。説明板は昭和51年に設置されたものなので、幹の太さや枝張りはちょっと変わっている事でしょう。なお、イチイの木の回りは墓地と畑です。今から思うと、墓地の方に回ればイチイ全体を写真に収める事ができたかも?

(写真9・上)イチイの木の横にあったお堂 (写真9・下)お堂の扁額のアップ

(写真9)上・イチイの木の横にあったお堂、下・お堂の扁額のアップ。(撮影ポイントは上とほぼ同じ)
イチイの木の横に小さなお堂がありました。その扁額には「土邑 朝日堂」とあります。中には観音様が収められているようです。左側に書かれているのは御詠歌のようですが、達筆すぎて読めない・・・


以上、小さな集落ですが、国道沿いという事もあり「土」と分かるものが結構あるところです。しかし、「土のイチイ」を見つけたことで満足してしまい、集落の中は見に行きませんでした。ほかにも、集落近隣にある水力発電所にも「土」の名が冠されているようですので、機会があったら再度見に行きたいところです。