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鹿島郡中能登町・地獄谷川訪問記

写真撮影・平成19年5月
記事作成・平成27年12月
「地獄谷」コレクションの協賛企画です。

「地獄谷」と聞いて、どういうところを想像されるでしょうか?温泉場や火山地帯にある、湯気やガスが漂う岩肌むき出しの谷でしょうか?あるいは、険しい山にある人を寄せ付けないほどの急峻な谷もあるかもしれません。
ところが、世の中には「のどかな田園地帯の中に突如現れる地獄谷」というところもあったりします。何だかのどかな感じしかしなかった、中能登町を流れる地獄谷川をご紹介します。

「地獄谷川」の標識

(写真1)国道159号線(旧道)・羽咋市と中能登町の境界

(写真1)国道159号線(旧道)・羽咋市と中能登町の境界。(撮影ポイント)
国道159号線(旧道)の羽咋市と中能登町の境界部分に来ました。撮影している地点は羽咋市大町、羽咋市の標識の奥側の農道から向こうが中能登町小金森になります。そして、その農道の向こうに川があります。

(写真2)国道159号線を川に向けて前進

(写真2)国道159号線を川に向けて前進。(撮影ポイント)
川に向けてちょっと前進しました。地図を見る限り、この地点の市町境は羽咋市の標識の後ろにある道路付近にあるようです。そして、その向こうにある河川名標識が…。

(写真3)地獄谷川の河川名標識

(写真3)地獄谷川の河川名標識。(撮影ポイント)
のどかな田園風景の中に建つ「地獄谷川」の標識、インパクト大です。

(写真4・上)石川県立鹿島少年自然の家の標柱 (写真4・下)石川県立鹿島少年自然の家の標柱(拡大)

(写真4)石川県立鹿島少年自然の家の標柱。(撮影ポイント)
写真1・2に写っている国道の橋のすぐ南にもう1本小さな橋が架かっています(Mapionの地図には記載無し)。その2本の橋の間に石川県立鹿島少年自然の家の標柱が立っているのですが、そこにも「二級河川 地獄谷川」の記載がありました。
(ちなみに、鹿島少年自然の家は写真右手の県道を4kmほど登ったところにあります)

上流方向へ

(写真5)地獄谷川の上流側を臨む

(写真5)地獄谷川の上流側を臨む。(撮影ポイント)
写真4の橋の上から上流方向を写してみました。この付近は真っ直ぐな流路に改修されたような感じです。橋から写真奥の木の生えているあたりまで100mぐらいあって、その間3〜5mほどの標高差があるようです(参考)。そのため水量の割に流れが速く、強い雨が降った時には結構な勢いになっていました。
この様子を見て「洪水になるとエラいことになるので地獄谷川なのか?」とも思ったのですが、中能登町の旧鹿島町域にある川は大体似たような感じで流れているため、ここだけが洪水時の様子だけで名前がついたと言う事はちと考えにくいです。

(写真6・上)「碁石ヶ峰遊歩道登り口 健康のみち 小金谷コース」標柱 (写真6・下)「碁石ヶ峰遊歩道登り口 健康のみち 小金谷コース」標柱(地図拡大)

(写真6)「碁石ヶ峰遊歩道登り口 健康のみち 小金森コース」標柱。(撮影ポイント)
地獄谷川は写真5のもうちょっと上流で県道から離れ、碁石ヶ峰へと向かう林道に沿った流れとなります。その県道と林道の分岐点にこのような標柱が。林道が町により遊歩道としても整備されているようです。
気になるのは林道の名前にも遊歩道の名前にも「小金谷」とあること。この辺りは中能登町小金森と隣の中能登町高畠の境目付近で、林道を遡ってしばらくの間は地獄谷川が小金森と高畠の境界になっています。「小金谷」は小金森に関連ある名前だとは思うのですが…川の名前である「地獄谷」は???

(写真7・上)林道小金谷線の様子・上流向きに撮影 (写真7・下)林道小金谷線の様子・下流向きに撮影

(写真7)林道小金谷線の様子。(推定撮影ポイント)
細かい撮影場所を失念してしまいましたが、Googleサテライトの画像や前後の写真から一を推定しています。
林道に入ってしばらくの間は舗装されているのですが、やがて砂利道に変わります。そして地獄谷川は集落内よりも緩やかな感じながら石がゴロゴロした川になります(この写真自体は割と奥の方ですが、けっこう手前から石ころゴロゴロ状態)。そして下の写真のようにところどころ崩れたような跡も見られます。おそらく、大雨が降ったときに土石流が発生する事があるのだろうと思われました。やはり、洪水時の様子から地獄谷川と呼ばれるようになったのでしょうか?

(写真8)健康のみち(小金谷コース)第2チェックポイントの看板

(写真8)健康のみち(小金谷コース)第2チェックポイントの看板。撮影ポイントは失念してしまいましたが、写真7の撮影地点のもうちょっと上だったと思います。
この遊歩道の案内しか見てない場合、横に流れている川の名前が「地獄谷川」というおっとろしい名前の川だとは想像つかないと思います。

(写真9)林道小金谷線の奥の方

(写真9)林道小金谷線の奥の方。(推定撮影ポイント)
この撮影地点から先は車の轍が無くなっています。さらに奥は細くなっているようで、この辺りが車で来ることができる一番奥、と言うことになるようです。この先を更に進むと碁石ヶ峰までいけるのですが、その途中には階段もある模様。
ここには小型の砂防ダムがいくつか設置されていました。途中にも何か所か砂防ダムが設置されていましたので、やはり土砂の流出が多いのだろうと思われました。
ちなみに、県道から林道に入ったあと、ここにたどり着くまでの間に「地獄谷川」と表示したものは一切無かった…はず。

下流方向へ

(写真10)地獄谷川の下流側を臨む

(写真10)地獄谷川の下流側を臨む。(撮影ポイント)
今度は、写真1・2に写っている橋の上から下流方向を写してみました。ここから下流側では、地獄谷川は田んぼや集落の間を縫って流れていきます。写真のような天気の良い日は特にどうと言うことは無さそうなのですが、ちょっと強い雨が降ると地獄谷川の流れはけっこうな勢いになります。
ちなみに、流れの先に写っている家々はまだ中能登町小金森の地内。その向こう側には国道159号線鹿島バイパスが有り、更にその先には中能登町曾祢という集落があります。ところが、小金森の下流側や曾祢の集落内には地獄谷川の名が記された標識等が見当たりません(そのため曾祢では写真撮影してない)。

(写真11)地獄谷川と久江川の合流点近く

(写真11)地獄谷川と久江川の合流点近く。(撮影ポイント)
地獄谷川の一番下流付近まで来ました。この先で地獄谷川は東北東側から流れて来る久江川と合流しています(久江川の河川名は中能登町鹿島地区の土砂災害ハザードマップで確認しました)。そして合流地点から200mほど先でさらに長曽川に合流し、その先は邑知潟へと続いています。
ちなみに、写真を撮っている橋やそこに連なる橋は舗装されおり、普通車で行くことができる地獄谷川の最も下流の地点となります。写真左手に写っている農道を進んでいけば合流地点の横まではいけますが、道幅的に普通車で入っていくのはかなり辛そうです。そして、この橋の付近にも「地獄谷川」の表示無し。川の上流から下流まで辿って見て「地獄谷川」の表示があったのって国道159号線の旧道の所だけなんですよね。設置当時はこの付近で外から人が入って来る一般的なルートって旧道(かつての七尾街道)だけなのであそこだけでも良かったのかもしれませんが、現在だと例えば国道159号線鹿島バイパスとの交点付近にも設置しても良いような気はします。

追加情報

「地獄谷川」の名前の由来は現地では分かりませんでした。で、他の資料を当たってみましたが…角川地名大辞典には「地獄谷川」の項は無く、地獄谷川の流域である高畠、小金森、曾祢の項でも川に関する記述はありませんでした。更に、ネット上でも調べてみましたが関連しそうな情報は発見できず。
一方、遊歩道の看板に見られた「小金谷」。最初は「地獄谷」が怖い名前なのでそこから転じたものかと思っていましたが、「小金谷」の名前の方は古くからあるようで「小金谷」の下にあるから「小金森」と言う名になった…と言う説が地元では伝わっているようです(参考:こみみかわら版・中能登町小金森)その「小金谷」の所以ですが、かつてこの付近で金が取れたからと言う説があるようですが、集落の神社が木の神様とされる「木賀神社(こがじんじゃ)」で、古文書では小金森が「木加祢森」と書かれたこともあるようなので(参考:畝源三郎のホームページ・鹿島郡南部3町の神社)、林業に関係ある地名なのかもしれません。