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白山市・猫ヶ島の弥四郎の大栗訪問記

写真撮影・平成25年11月
記事作成・平成25年12月
「猫」コレクションの協賛企画です。

具体的に何の調べ物をしていた時だったのかは失念してしまいましたが、平成25年の秋のとある日、ネット検索をしていたら偶然に「猫ヶ島の弥四郎の大栗」なる巨木が白山市尾添・一里野高原スキー場近くの森の中に有る…と言う情報を得ました。これは「猫」コレクションに情報提供できる!とは思ったものの、そこで引っかかったのが「猫ヶ島とは何だ?」。
何せ、所在地は白山市尾添で、一般に通っているその辺りの通称は一里野(元々は「野」という小字)。猫ヶ島というのは初耳です。ネット検索を続けると、その木を植えたのは「蜜谷弥四郎」と言う江戸時代の人物である、と言う所までは分かったのですが、「猫ヶ島」に関するこれという情報は見つからず。
次に、角川日本地名大辞典17・石川県に出ている「明治年代の小字」を調べてみましたが、旧白山麓5村にはそれらしい小字は無し。前述の蜜谷弥四郎の「蜜谷」は旧蜜谷村(現・小松市光谷町)では無いか…と言うことで小松市の山間部まで調べてみましたが、やはり無し。
調べてもなかなか情報が出てこないのですが、頭を抱えていても仕方が無いので、とりあえず現地に行って見て見ることにしました。現地に行ったのは11月初旬。まだ辛うじて雪の便りが聞こえる前の訪問でした。

まずは一里野へ

(写真1)一里野高原スキー場の北側

(写真1)一里野高原スキー場の北側。(撮影ポイント)
石川県白山市、一里野高原スキー場西側の貸しスキー屋や民宿などが建ち並ぶ一角…この奥に「猫ヶ島の弥四郎の大栗」があるのですが、ここからではさすがに分かりません。
ちなみに、一里野高原スキー場のゲレンデは私の背後に広がっています。写真を横切っている道路は国道360号線。雪のシーズンはこの交差点より山側が通行止めとなります。

(写真2)温泉センター天領の駐車場

(写真2)温泉センター天領の駐車場。(撮影ポイント)
写真1の一番奥右手にある「温泉センター天領」の駐車場に来ました。写真中央の階段に連なる山道を入っていくと大栗がある、はずなのですが…栗の木の葉のようなものはちら見えしていますが、まだどれが大栗なのかは分かりません。

(写真3・上)一里野高原周辺の案内図 (写真3・下)案内図のアップ

(写真3)上・一里野高原周辺の案内図。下・案内図のアップ。(撮影ポイント)
写真2の中央付近にあった案内図を見てみました。一里野高原から尾添集落にかけての散策路が書かれており、大栗は駐車場脇野会談から始まる散策路のすぐ近くにある模様。これを見ると、「猫ヶ島」の読みが「ねっかしま」であることが分かります。
この案内図を参考に、階段から森の中に入ってみましょう。

「猫ヶ島の弥四郎の大栗」のもとへ

(写真4)猫ヶ島の弥四郎の大栗・西側から撮影

(写真4)猫ヶ島の弥四郎の大栗・西側から撮影(撮影ポイント)
「温泉センター天領」の看板横を通り過ぎ、森の中に入ったら大栗が見えました。写真2の左上辺りに写っているやや淡目の黄緑色の葉っぱが大栗の一部だったようです。三つ股になった幹がねじれて絡み合ったように天に伸びています。11月に入って寒くなってきてはいましたが、まだ葉がたくさん残っていました。

(写真5)猫ヶ島の弥四郎の大栗の株元・西側から撮影

(写真5)猫ヶ島の弥四郎の大栗の株元・西側から撮影(撮影ポイント)
株元に近づいてみました。大栗の表面に生えている苔が歴史を感じさせます。案内板と、何かの看板がありました。

(写真6)猫ヶ島の弥四郎の大栗の説明板

(写真6)猫ヶ島の弥四郎の説明板(撮影ポイント)
説明板のアップ…ですが、市町村合併してかなり経つというのに未だに「尾口村」表記の上、ところどころ読めなくなっている。合併後、全く整備されていないと言う事でしょうか。書いてある内容は次のとおりです(読めないところはネット情報で補完)

猫ヶ島の弥四郎の大栗
尾口村指定天然記念物
一、指定年月日
平成四年十一月二十五日
二、指定理由等
幹周五メートル、樹高二十メートル
この大栗は、宝暦年間(一七五一〜一七六四)蜜谷弥四郎が植樹したものといわれ、県下で類例の無い巨樹である。
  尾口村教育委員会

(写真5)「ねっかしまの森」の看板

(写真7)「ねっかしまの森」の看板(撮影ポイントは写真5と同じ)
株元にあったのは「ねっかしまの森」と書かれた看板、の残骸。昔は立て看板だったのでしょうか?辛うじて字が読める範囲が残っていますが、端から朽ちてきているので、やがて看板だったことも分からなくなってしまうでしょう。
おそらく散策路の整備とともに建てられたものでは無いかと想像しますが、こういう看板が建てられたとなると「猫ヶ島」はこの辺りを指す地名であった、と言うことになるのでしょう。

(写真8)猫ヶ島の弥四郎の大栗・東側から撮影

(写真8)猫ヶ島の弥四郎の大栗・東側から撮影(撮影ポイント)
ここまでの写真を撮影したのとは反対側に回って大栗を撮影しました。先ほどまでいた辺りは頭上が少し空いていたのですが、こちら側は他の木の枝の下になるためやや薄暗いです。しかも当日は曇りで、雨が降り出す寸前の暗めの雲がかかっていたため、実はかなり暗い写真になってしまったのを画像の明るさを調整して木の様子が見えるようにしたものです。こちら側から見ると、3本の枝がかなりの太さで、それぞれが渦を巻くように天に伸びているのが分かります。
大栗の後ろに見えている建物は温泉センター天領…では無く、その東隣にある国民宿舎一里野荘(休業中)。本当に建物のある一角からすぐのところにあるのですが、そちら側からは他の木に紛れてしまうために一里野側からは存在が気付かれにくいのでした。

補足

現地訪問をしたことで、「猫ヶ島」が「ねっかしま」と読み、一里野高原北側の一角を指す地名らしい…と言うことが分かりました。
その後、落書き帳で猫ヶ島にまつわる昔話を紹介しているサイトを教えて頂きました。「石川県白山麓で自然に暮らす。」と言うサイト内の「尾口村 尾添 昔話 ネッカシマ」と言うページで、化け猫宿の話と一向一揆対柴田勝家軍の戦いにまつわる伝説の2つが紹介されています。猫ヶ島にはこの他に老女と飼い猫が変化した化け猫にまつわる昔話も伝わっているようです。(参考)これらの伝説が実際に地名が成立するまでの出来事とどれだけ絡んでいるかは分かりませんが、猫と関係深い地名であるのは間違い無さそうです。
あと、ネットでいろいろ情報を探している中で、「樹齢を重ねて木がだいぶ弱っているのでは無いか」という事を書かれている方がいました。そう言われれば、栗のイガがほとんど落ちていなかったような…私が行った時にはもしかすると誰かが拾った後だったと言う可能性もあるかもしれませんが、実際に木が弱って来ているとなるとあんまり近づくのは良くなかったんじゃ無いのか?と思わないでもありません。柵で囲っても良いのかもしれませんが、大栗直下の説明板や看板の様子からすると長いことこの付近に手が入れられていないのでは無いか?と言う気がします。ちょっと、何か考えた方が良いのではないでしょうか。