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金沢市・上荒屋ロータリー(時の広場)訪問記

写真撮影・平成17年11月、平成25年9月
記事作成・平成17年11月、追記・平成25年10月
「ロータリー」コレクションの協賛企画です。

おことわり

以前は金沢市上荒屋と円光寺の2つのロータリーを1つの記事で紹介していましたが、ホームページリニューアルに際して2つの記事に分割しました。円光寺ロータリーについてはこちらをご覧下さい。

平成17年頃のある日。ロータリーについてネット検索していたところ、金沢市内に「上荒屋ロータリー」なるところがある事を発見しました。ところが、問題となったのがその形状。
昭和37年の空中写真には既に原型と思われるロータリーが写っています。そして昭和50年頃の空中写真ではロータリー南側に横断歩道とダイヤマークが確認でき(400dpi参照)、ある年代までは車がロータリーのまわりをぐるっと回るような形状になっていたものと考えられます。ところが、現在の地図を見ると形状が変わっており、北西側に信号が作られていることから道路がロータリーをスルーする形になっているのでは?と考えられました。
地図や航空写真だけでは現地の様子が分かりづらかったので、実際に行ってみました。

上荒屋ロータリー

(写真1・上)上荒屋ロータリー・北東側道路 (写真1・下)上荒屋ロータリー・南東側道路

(写真1)上・上荒屋ロータリーの北東側道路、下・同南西側道路。
昭和50年当時はこれらの道路は直結していましたが、現在はロータリーによって分断されており、北東側道路はロータリー北側を通る道路に直結する形となっています。

(写真2)上荒屋ロータリー北西にある上荒屋中央交差点

(写真2)上荒屋ロータリー北西にある上荒屋中央交差点。
昭和50年当時のロータリーのあった位置は写真の真ん中辺りだと思います。この交差点から西側に延びる道(写真では左上方向)ができたことによりロータリー北側が主要道路となり、それに合わせてロータリーが南側に拡大されミニ公園として整備されたものと考えられます。
現在、ロータリー北東側の道から南西側の道に抜けるためには一度この交差点で左折する必要があります。

(写真3)上荒屋ロータリー南側

(写真3)上荒屋ロータリー南側。
かつては上荒屋団地のメインストリートだったのでしょうが、ロータリーの南側拡大により生活道路然とした道に変わっています。

(写真4・上)上荒屋ロータリー東側(南側より撮影) (写真4・下)ロータリー東側(北側より撮影)

(写真4)上荒屋ロータリー東側(上は南側、下は北側から撮影)
ロータリーと同じカラーブロックで道路が舗装されていました。歩行者優先、と言うことでしょうか?ただし通行止などの規制標識はなかったので、団地内に通り抜ける際には自動車が通行しても構わないものと思われました。

以上のとおり、上荒屋ロータリーは現在は交差点の中心ではなくなっており、ロータリーコレクションにおけるロータリーの定義には合わなくなっていることから「通称ロータリー、ロータリー跡」のグループに入れるのが適当、と考えられました。

時の広場

以上は平成17年に訪問した時の写真ですが、後から見返すと、ロータリーの全景が収まった写真が無い。それに、訪問時は夕方で、写真が薄暗い…と言うことで、ホームページリニューアルに際して再度写真を撮ろうと思い立った平成25年のある日。
しかし、たまたまその日はずーっとロータリーの辺りにたむろしている連中がおり、写真の撮影は困難でした。仕方ないので周辺を散策していると、こんなものを発見。

(写真5)三和小学校校下の案内図(部分拡大)

(写真5)三和小学校校下の案内図(部分拡大)。
写真中にある上荒屋第一公園の付近に、三和小学校校下の案内図がありました。災害発生時の避難場所等が示されていたと記憶します。で、その図を見ていると上荒屋ロータリーの付近に「時の広場」と書いてあるのが目に留まりました。
写真1に柱状のものが写っていますが、これは実は時計塔の一部。おそらく、ロータリーが現在の形に改修された際に時計塔が設置され、それにちなんで「時の広場」と命名されたもののようです。
ネット検索してみると地区の行事案内等には「時の広場」と書かれているものが多いようで、現在の正式名称は「時の広場」で間違いないでしょう。しかし、「上荒屋ロータリー」でネット検索するとこちらも一定数引っかかります。「昔の名前」もまだまだ根強い、と言うことのようです。