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一音大字・敦賀市手訪問記

写真撮影・平成18年11月
記事作成・平成27年10月
「一音地名」コレクションの協賛企画です。

平成18年に一音大字・福井県敦賀市木を訪問した記録です。場所はこのあたり
訪問後、しばらくHPの更新を中断してしまったために訪問時から状況が変わっているところもあり、お蔵入りに仕様かどうか悩んだのですが、せっかく撮った写真がもったいないですし思い立ったら何とやらで取りまとめることにしました。状況が大きく変わっているところについては、Googleストリートビューを参考に補足説明することとします。

手の浦口

(写真1)県道標識の「敦賀市手」

(写真1)県道標識の「敦賀市手」。
敦賀市手は敦賀市の中心部から敦賀湾西側の県道を北上したところにあります。南側の沓集落からは山越えの曲がりくねった道を通っていったのですが、園途中の県道標識に「敦賀市手」の表示がありました。細かい撮影場所は失念…実はストリートビューで場所の確認を行ったのですが、後ろのガケが合致する場所に標識が無かったのです。おそらく撤去・移設されたものと思われます。

(写真2)敦賀市手の集落を臨む

(写真2)敦賀市手の集落を臨む。(撮影ポイント)集落の南にある海水浴場から敦賀市手の集落を撮影してみました。割と軒数があります。集落付近の海は漁港となっていますが、その北側にも海水浴場があります。
2015年撮影の航空写真を見ると、この付近の道路状況はかなり変化している模様。この集落南側の海水浴場が営業を続けているのかも不明)

(写真3・上)「キャンプ全面禁止」看板 (写真3・下)同・アップ

(写真3)「キャンプ全面禁止」看板(撮影ポイント)
写真2のポイントから少し北に行くとこんな看板がありました。設置者を見ると…「手観光協会長」と「手漁家組合長」、そして「手ノ浦区長」…手ノ浦?

(写真4)福鉄バス・手の浦口バス停

(写真4)福鉄バス・手の浦口バス停(撮影ポイント)
写真3の看板から更にちょっと北側にバス停があったのですが、その名は「手の浦口」。やっぱり「手」じゃ無くて「手の浦」。
(なお、福井鉄道鉄バスは平成21年に敦賀市内のバス路線をほぼ廃止しており、バスの運行は敦賀市コミュニティバスに引き継がれています。引き継ぎ後、このようにバス停のデザインは変更されていますが、手の浦口バス停自体は平成27年現在も残っているようです)

(写真5)レストハウス手の浦

(写真5)レストハウス手の浦(撮影ポイント)
写真1を撮影したポイントの山寄りに海の家っぽい建物があったのですが、その看板を見ると「レストハウス手の浦」。ここまでは「手」よりも「手の浦」の方が多数派です。

手の集落へ

(写真6)集落内の標識…「手」と「手の浦」

(写真6)集落内の標識…「手」と「手の浦」。(撮影ポイント)
集落本体の南端にあった標識です。地面から生えていたのは「手」、電柱にくっついていたのは「ここは手の浦」。
ちなみに、後方に写っている白い屋根は旅館です。

(写真7)集落内の県道標識も「敦賀市手」

(写真7)集落内の県道標識も「敦賀市手」。(撮影ポイント)
写真6の場所からちょっと北上するとまた県道標識がありました。集落手前にあったものと同じく「敦賀市手」。
背景の看板は写真6とは別の民宿旅館。実は手集落内には旅館や民宿が何軒もありました。訪問時は冬間近の11月だったため集落内の人影はまばらでしたが、夏場は海水浴客や釣り客で賑わうのでしょうか。

(写真8)漁港の入口

(写真8)漁港の入口。(撮影ポイント)
写真7の場所から更に北上すると漁港の入口がありました。そこに建っている看板は…

(写真9)漁港入口の看板

(写真9)漁港入口の看板。(撮影ポイントは写真8と同じ)
漁港入口の看板。所在地は敦賀市手地先ですが、「手漁港」でも「手の浦漁港」でも無くて「浦底漁港」。「浦底」は小字名でしょうか?

(写真10)漁港入口の看板

(写真10)漁港入口の警告看板。(撮影ポイントは写真8と同じ)
漁港入口にはこのような警告看板も。あれ?手の浦口の海水浴場にあった看板には「手漁家組合長」とありましたが、こちらは「手の浦漁家組合」。海水浴場の看板の方が古そうでしたので、途中で組織名が変わったのかもしれません。

(写真11)福鉄バス・手の浦バス停

(写真11)福鉄バス・手の浦バス停。(撮影ポイント)
再び北上するとまたバス停がありました。バス停の名はやはり「手」では無く「手の浦」。
(こちらのバス停も現在は敦賀市コミュニティバスの手の浦バス停に変わっています)

(写真12)よい子の村 手の浦公園

(写真12)よい子の村 手の浦公園。(撮影ポイント)
集落内に入っていくと小さな公園発見。こちらも「手の浦」。

(写真13)「キャンプ全面禁止」看板再び

(写真13)「キャンプ全面禁止」看板再び。(撮影ポイント)
再び県道に戻り、更に北上。集落北側の海水浴場は駐車場の入口が閉鎖されていたため、更に北上を続けるとかなり行ったところに「キャンプ全面禁止」看板がありました。書いてある内容は手の浦口と同じ。ここからもう少し北上すると北隣の色浜地区に入ってしまうところで、訪問当時はこの看板が一番北にある「手」および「手の浦」の表示だったようです。
(なお、ストリートビューを見ると、平成24年時点ではこの看板はこの場所からなくなっている模様。看板が付けられていた柵の後ろに何かあるような…)

補足

と言う事で敦賀市手を県道を南から北に進む形でご紹介しましたが(実際には行ったり来たりしてます)、現地では「手」という表示と「手の浦」という表示が混在していました。住所として示す場合は「手」、地域名として示す場合は「手の浦」という感じがしました。特に、行政区名が「手の浦区」であると思われるのがけっこう重要な気がします。
なぜ地区名が「手の浦」なのか、HP「都道府県市区町村」にある「福井県の市制町村制施行時の情報」を見ると何となく解答が見えました。この敦賀市手の付近は明治22年の町村制施行時に15村が合併して松原村となっています。では手は松原村成立前は手村だったのかというとそうでは無く、手ノ浦という「村」だったとのこと。手ノ浦村でもありません、手ノ浦。明治の町村制施行前の若狭湾沿岸には○○浦という「村」が多数有り、手ノ浦もその一つでした。おそらく、松原村が成立した時か、昭和12年に松原村と鶴賀町が合併して敦賀市が成立した時のいずれかに字名としては「手」と言う事になったのが、一文字の「て」は言いにくかったので地元の人たちは「手の浦」と呼び続けた、と言う事では無いか、と思います。